映画・テレビ

人志松本のゆるせない話

見ましたかな?

タイトルが気になって、HDRに録っておいたんですが、とりあえずおもしろかった。

だけでなく、いつものまっちゃん節で、世間のあら探ししとった感じもするし。

キムの「考えられへん!」的な話も満載だったし。

いろいろ考えさせれられましたわthink

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小エンザイブーム

最近,新聞報道や映画情報などで,「えん罪」という言葉をよく聞きます。

そこで,「えん罪」って何なのか,ちょっとだけ調べてみました。


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検察官は、起訴状に、被告人がした行為と、その行為がどの法律に当てはまるのかを書いて、裁判所に出します。このことを起訴っていうんです。


裁判官は、裁判が始まるまでは起訴状しか見ることができず、裁判が始まるときは、被告人は無罪であるという前提で裁判が始まります。


裁判では、検察官が起訴状を読んで、それに対する意見を被告人がしゃべって(間違いないのか、間違いがあるのか、等)、検察官からのいろんな証拠(客観的な証拠)と、被告人がしゃべったこと(主観的な証拠)を総合して、被告人が起訴状に書いてあることをやったかどうかを判断して、100%起訴状に書いてあることが間違いないと思ったら、その事実があったものとして、その事実を法律に当てはめて、被告人に有利な事情もとりいれたあと、最終的に,法律で定められた刑の一番重いのを上限として、その件でその被告人に対して言い渡す刑を決めます。



日本の裁判では、被告人の自白だけでは有罪にすることができないので、検察官は、被告人を有罪にするために、被告人からの自白はもちろんのこと、集まっている客観的な証拠をいろいろ考えて、裁判で有罪にできる材料がそろっているかどうかを検討して起訴します。



一般的に、証拠は、警察官と検察官によって集められます。


被告人の供述調書を始め、被害者の供述調書、目撃者の供述調書、被害届、告訴状、証拠物,写真などです。


その中でも,供述調書というのは,裁判にもっとも大きな影響を与える証拠の一つです。


例えば、本当はAさんが犯人なのに、被害者が勘違いして,Bさんから被害に遭ったとしてしゃべり始めたとします。


被害者はBさんから被害にあったと完全に勘違いしているので、本当はAさんから被害にあったことを、本当にBさんから被害にあったように,それはもう詳しく,詳しくしゃべります。


警察官も、検察官も、それを信じて調書を作ります。


犯人はもちろん自分はやっていないと主張します。



裁判が始まるとこの供述の食い違いが問題になりますが,こういうとき、裁判の世界では、どの人の話が一番信用できるかを判断します。


判断する方法は、より詳しく、より現実味があって、より自然な流れで供述しているかどうか、等々です。


この場合、被害者は、実体験をもとに、Aさんからの被害をBさんからの被害として、それはもう詳しく、現実味のある、自然な流れの供述をしているわけです。



そうして,裁判所へ被害者の調書を出したり,被害者の証人尋問などをして、最終的に信用される供述をしているのは被害者であるということになります。



ところで、日本の裁判では、最初に書いたように、被告人が起訴状に書いてあることをやっていない可能性が1%でもあれば、無罪になります。


ということは、Bさんは、自分がやっていないことを立証する必要はなくて、自分がやっていない可能性が少しでもあることを立証すればいいことになります。


だって,考えてみると、「ないことの証明」をするのは現実問題として絶対無理なので、法律では、あることを主張する側がその証明をすることになっているのです。



しかし、ある法律学者は、『日本の裁判が実際そのようになっているかというと、必ずしもそうではない、その理由は、日本での裁判の有罪率がかなり高いからだ。
そのデータを裁判官が知っているので、裁判が始まるとき、裁判官は、「被告人は有罪である」という推定をもって裁判に望んでいるのではないか』と言います。



そういうこともあるので、日本の裁判で無罪を勝ち取るのは難しいと言われるのです。



それは、裁判だけでなく、一般的に、そういう感じにもなっています。


逮捕されただけで、実際にやっていなくても、犯罪者扱いされてしまっていると思いませんか。


一般人でもそう思ってしまうのは,日本では,起訴されると,90数パーセントのとても高い確率で有罪になっているからです。


でも,実は,誰かを逮捕するためには、それほど厳格な立証は必要ないんです。


裁判では100%の証明がいるのと比べると,えらい違いですね。



この例の場合は、全く事実が解明されていないのに、被告人も、被害者も別の意味で被害を受けたことになります。


本当の犯人は別にいるのに、被害者はBさんが犯人だと思っているし、Bさんは別に犯人がいると思っているし・・・。



しかし、この例では、被害者もBさんも警察も検察も裁判所も悪くないとも言えます。


だって誰も嘘をついていないんですから。


誰も嘘をついていないのに,本当の犯人ではない人を有罪にしてしまうことがあり得るんです。


要するに、AさんとBさんとを取り違えるような状況で行われた犯罪を証明するのがどれだけ難しいかということです。


被害者が被害に遭ったとき、そこにBさんしかいなければ証明はわりと簡単だし,誰かが嘘をつかないとえん罪はおこりにくです。


でも,そこにたくさんの人がいるとき、100%Bさんがやったことを証明するのは至難の業です。


もしかしたらAさんかもしれないし、Cさんかもしれないし、Dさんかもしれないし、誰がやったとされてもおかしくない状況は、その状況自体からしても100%Bさんがやったと言えないです。


そうすると、あとは目撃者や被害者の供述に頼るしかないですが、完全にBさんがやっていると確信している人の供述は,前に書いたとおり,それはもう信用性が高いです。


たとえ完全に勘違いしていたとしても、供述自体が詳しくて自然で現実的なので、その話を信用するしかなくなります。


そして、その供述に、有罪率がほぼ100%というデータが合わさって、Bさんは有罪にされてしまいます。



警察が不正をしているえん罪と違って,このような形で,誰も悪くないのにえん罪が起こってしまう場合があるのって,本当にこわいです。


自分がもしもそうなったら・・・と考えると。。。


そもそも,以前に起こった出来事を,後からいろんな証拠をもちよって確定する作業をしないといけないという「裁判」という世界は,とても難しいですね。


そうなりたくなかったら,疑わしいことをしないとか,そういう場所に近寄らないとか,元を絶たないとダメみたいです。。。

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大和魂

男たちの大和の映画のセットを見た

ただその前に、この映画を見ていない・・・

旅行のプランのひとつとしてのものだ

よく分からないが、いまいちぱっとしない

とりあえず写真なんか撮ったりして

存在理由を考えたりして

ひととおり 学びながら見た

国のために死ね」との文字もある

周りの人たちも

戦艦大和の存在意義や、日本の決断は

正しかったのか、間違っていたのか

いろんな話をしている

セットの順路が全部終わって

一番最後にあったのが

資料館みたいなの・・・

ここに入ってみて、

映画を見ていなくても

それなりのことが分かった

せめてこれを一番最初に見たかった

これも作戦負け?

それにしても、

自分は歴史に非常に弱い・・・

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私だけ・・・

エンタの神様で,各芸人につけられているキャッチフレーズと,

「今日のネタは・・・」といってネタをあらかじめバラしてくれること。

これ,いる?

俺はめちゃめちゃ腹が立ちます!!!

芸人はどう思っているんだろうか???

それとも,見る方が鈍感になっているため???

わからん〜!!!

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華氏911

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『華氏911という映画を見て,率直に思ったこと』
(まず,前提として,この映画を作ったマイケル・ムーアが,自分の意見,主張を一方的に映画にしているし,私自身その主張しか知らないことをあげておきますが・・・)
「戦争」ということ自体に対して,非常な憤りを感じた。
目的がなんであるにせよ,手段が戦争というのは悲しすぎる。
どんなことでもそうだろうけど,政治に嘘や,利己的意識を持ち込むのは良くない。国の重要なポストを利用して,自分自身が個人的にいろんな意味で潤うのは本来の目的を脱している。
イラクを攻撃する必要性については,疑問を感じざるを得ない。
実際に戦争に行って危険な任務を果たしているのが,アメリカの底辺の層にあたる国民であり,また,アメリカの議員の中でその任務に参加している子供を持っているのは,1人であること。ムーアも言っていたが,本当にこの戦争が正しく,人道的支援を目的としているのなら,国を動かす人物が,自分の子供を行かせて欲しい。
戦争をする,しないを決めるのは一部の人間の意思でしかないが,犠牲になっている大勢の人たちは,その人たちとは全く関係のない人々である。
任務で現地に行っている兵士が,徐々に大統領の政策に疑問を感じ始めていること。
原爆を落とされた広島に住んでいる身としてもそうだし,一般市民としても,戦争は本当に良くない。戦争は醜い。この世から戦争という手段や言葉がなくなってくれればいい。世界中のすべての人が戦争から解放されて,平和に暮らせたらいいと本心から思った。

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